パンダリロン

‪この出会いが未来への分岐点‬

天才Geniusの軌跡

ジャニーズJr.の本髙克樹、村木亮太、菅田琳寧の3人からなるジャニーズJr.内ユニット「天才Genius」が駆け抜けていった日々を備忘録としてまとめてみました。すべて私の主観+敬称略、諸々の抜け漏れ間違い等々ご容赦下さい。

 

①時系列年表 (2015.12〜2017.4) 

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多分すごく見にくいので良かったら私のツイッターか、こちらからどうぞ!Dropbox - 天才Geniusの軌跡.pdf

 

こうしてざっくりと振り返るとやっぱりいろいろな面で怒涛の一年だったなと思う。ユニットがお披露目されたジャニワを皮切りに、単独クリエ、サマステメインキャスト、サマパラバック、ユニット名だけ存在し続けたジャニアイと立て続けに現場を重ね、ハイスピードで駆け抜けていった2016年。

 

②転機

  1. クリエD公演 (2016/5/7-5/8)
  2. 当時高校3年生だったメンバーの受験

いろいろな意見があると思うけど、私の中ではこの2つが大きな分かれ目になったかなと思っている。

 

1. クリエD公演 (2016/5/7-5/8)

まずは、天才Geniusとして初めて単独で行ったコンサートである『ジャニーズ銀座』。通称・幻のクリエD。荒削りで未熟な部分も多いステージだったかもしれないが、髙橋颯や中村嶺亜や羽生田挙武に支えられて素晴らしいステージとなった。たぶん一生忘れない、いや忘れられない。このクリエが多くのオタクにとって、個人としての担当だけでなくユニットとしての担当を応援していきたいと感じるきっかけになったはず。ジャニーズらしいトンチキな名前にも愛着がわいてくる時期。

 

 

 2. 当時高校3年生だったメンバーの受験

そして次に、98年組の3人で構成された天才Geniusに立ちはだかる「大学受験」という壁。丁度この受験期にジャニアイが重なったり、Jr.情報局がリニューアルしたりとオタクもてんやわんや。この受験の壁をサクッと乗り越えるメンバーもいれば、ぶち当たるメンバーもいた。そしてそれはジャニアイと情報局のリニューアルに顕著に現れてきた。

 

まず、リニューアルされたジャニーズジュニア情報局のアーティスト欄に「天才Genius」の名前はなかった。絶望。そして6日後、ジャニアイのグッズ情報が更新された。全員が主役と謳っているだけあり、ポスターに写真のある出演者全員のオリフォが発売させることが分かった。歓喜するのも束の間、オリフォが発売される予定の出演者一覧にいるはずのメンバーの名前が1つなかった。またも絶望。

 

そうして絶望と不安とを両手に抱えたままジャニアイ初演の朝を迎えた。ある新聞の広告欄にジャニアイのビジュアルポスターが載った。しかしそこに前述したメンバーの姿はなかった。「まさか…」と数日前に過ぎった一抹の不安が形になって大きく現れてきてしまったことに動揺を隠せなかった。

 

そしてそのままジャニアイに彼が姿を見せることはなく、後日安井謙太郎と高橋優斗がレギュラーMCを務めるらじらーサタデー内で幽霊扱いされる事となる。(語弊)


そのまま数ヶ月の間、彼はめっきり少クラに出演しなくなり天才Geniusは事実上の消滅となった。

 

そして季節は巡り春となった。2017年3月13日、彼は爽やかな笑顔と共にNHKホールに舞い戻って来た。少年収のレポに続々と書き込まれる「復活」の2文字。久しぶりに揃った天才Genius。どれだけ心配したと思ってんだ!とぐしゃぐしゃに泣きながら言ってやった。天才Geniusの3人が並んでバックのセンターで踊る姿がたまらなく愛しかった。相も変わらず2人寄り添うむらぽんの姿を見てホッとした。そんな姿をまた見れたことがハチャメチャに嬉しかった。初めて言うけど何度も救われたから。笑った顔のあなたが好きです。

 

そして3月25日、彼らは名古屋を皮切りに始まったSexy Zoneのコンサートツアーのメインバックに抜擢され、初めてメインバックとしてツアーを巡ることとなった。前述した彼の所在を心配する声はもうなく、晴れてこのツアーが彼の完全復活の場となった。

 

 

“天才Genius”

その名が事務所の中にもう存在しなくとも、私たちの中でいついつまでも生き続けるだろう。いつだって私たちの胸を焦がし続けるだろう。こんな素晴らしいユニットがあったんだよと語り継がれていくだろう。たくさんの素敵な思い出をありがとう。

 

 

 

昔話は終わり。

またつくろう、また始めよう。この3人と